【論語×FIRE】四十にして惑わず。39歳サラリーマンが見つけた人生の軸
はじめに|「惑わない40歳」なんて存在するのか?
「四十にして惑わず」──この言葉を聞いたことがある方は多いと思います。
私自身、これまで何となく意味は知っていたものの、特別深く意識したことはありませんでした。
でも、39歳となり、人生の折り返し地点に差し掛かった今、ふとこの言葉が心に引っかかったのです。
仕事・家族・お金・老後…。あらゆる選択と責任が重なり合う40代目前。
毎日頑張っているはずなのに、「本当にこのままでいいのか?」という問いが、心のどこかで繰り返されます。
私は現在、FIRE(経済的自立・早期リタイア)を目指して行動中。
資産は7,000万円を超え、法人も設立。不動産投資と株式投資を組み合わせた戦略で、着実にゴールに近づいていると感じています。
でも、それでも「惑わず」にはほど遠い。
迷いも、葛藤も、焦りも、毎日のようにあります。
そんな中で改めて考えたのが、「四十にして惑わず」という言葉の本当の意味。
この言葉が、現代を生きる私たちにどんなヒントを与えてくれるのか。
そして、FIREを目指す道の途中にいる自分にとって、どんな指針になり得るのか。
今回はその答えを、自分なりの視点で深掘りしていきたいと思います。
第1章:論語に学ぶ、人生のマイルストーン
「四十にして惑わず」という言葉は、中国の古典『論語』に登場する孔子の言葉の一節です。
孔子が自らの人生を振り返って語ったもので、全文は以下のようになっています。
子曰く、吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順う。
七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず。
この一節は、人生の節目を6つの段階で表したものです。
特に「四十にして惑わず」という言葉は、日本でも非常に有名で、40代という年齢を迎える人にとって一種の理想像とも言えます。
孔子の言葉の中で「惑わず」とは、ただ迷わないという意味ではありません。
若い頃のように、進路や人間関係、社会との向き合い方に振り回されることなく、自分なりの価値観や判断基準を確立した状態を指しています。
つまり、「惑わず」とは“心が揺れないこと”ではなく、“揺れたとしても、自分で自分の進むべき道を選べる状態”のこと。
その境地に達するのが40代だと、孔子は説いているのです。
ですが…実際にはどうでしょう?
私を含め、現代のサラリーマンが40歳を前にして「もう迷わない人生を歩んでいます」と自信を持って言える人は、決して多くないはずです。
ここからは、「惑わず」に至るまでに感じた私自身のリアルな迷いや葛藤、そしてそこから見えてきた“現代版・論語の解釈”について、順を追って綴っていきます。
第2章:39歳の私が感じていた“現代の惑い”
「四十にして惑わず」とは、心の軸が定まり、もう迷わなくなる境地のこと。
でも実際に、私はどうだったか。正直なところを言えば──全然“惑わず”ではありませんでした。
39歳の私は、世間的に見れば“順調な会社員生活”を送っていたのかもしれません。
年収は950万円、子どもは2人、持ち家あり。副業も開始し、資産も7,000万円を超えている。
客観的には、特に不満のない暮らしに見えるでしょう。
でも、内面ではどうだったかというと──不安と迷いでいっぱいでした。
まず、会社員としてのキャリアへの迷いがありました。
これから課長職を続けていくのか、それとも専門職に移るべきなのか。
出世を目指すのか、安定をとるのか、何が正解なのか分からず、葛藤していました。
そして、FIREという夢に向かって進んでいるはずなのに、ふとした瞬間に
「本当にこのままでFIREできるのか?」「何か大きなミスをしているのではないか?」
という漠然とした不安が襲ってくることもありました。
子どもの教育費、住宅ローン、老後資金、健康問題…。
40歳という年齢は、人生のさまざまな責任と未来への課題が一気に押し寄せてくる時期でもあります。
SNSを開けば、資産1億円を超えた人や、30代でFIRE達成した人、毎月100万円の不労所得を得ている人が溢れています。
自分と同じように会社員をしている人なのに、なぜここまで差がついたのか…。
そんな風に、他人と自分を比べてしまうこともありました。
表面上は堅実な資産形成をしているように見えるかもしれませんが、
実際には「揺らぐ心」と毎日戦いながら進んでいたというのが、本音でした。
「惑わず」なんて、とても言えない。
それどころか、40歳目前にして人生のあらゆる面で“迷い”が増えている。
それが、当時のリアルな心境でした。
ですが──。
そんな自分の“惑い”と向き合いながら、少しずつ光が見えてきたのも事実です。
次章では、そのきっかけとなった「資産形成と法人戦略による“主導権の回復”」について綴っていきます。
第3章:少しずつ、人生の主導権を取り戻した
そんな風に揺れ続ける日々の中で、ある転機が訪れました。
それは、会社の中での自分の立ち位置や、将来の姿がだんだんと見え始めてきたことです。
入社から十数年。今や中堅社員となり、課長職を任されるようになった私は、昇進・昇格の“その先”を意識せざるを得なくなっていました。
「このまま出世を目指して走るべきか?」
「それとも専門職にスライドして、責任を減らしつつ収入を維持するのか?」
「あと何年ここで働くのか? そして退職後、どんな人生が待っているのか?」
そんな問いが、毎日のように頭をよぎるようになったのです。
キャリアの“ゴール”が見えかけたことで、逆に「本当にこの道が自分の望む人生なのか?」という疑念が湧いてきました。
この違和感は大きかった。
そして私は、「お金の自由」=FIREに改めて真剣に向き合うことにしたのです。
投資信託による積立、個別株、そして不動産。
複数の収入源を作ること、節税のしくみを理解すること、自分で判断し、戦略を持つこと。
それらすべてが、「誰かに決められた人生」から「自分で選ぶ人生」へと切り替えるプロセスでした。
特に大きかったのは、不動産投資への挑戦です。
物件を比較し、融資条件を交渉し、修繕や出口戦略を検討する中で、お金も、将来も、全部“自分の手で動かしている”という実感を持てたことが何よりの収穫でした。
さらに、法人を設立し、経費や節税、与信構築といったテーマにも取り組みました。
「働いて稼ぐ」から「資産で増やす・守る・拡大する」へと、発想が変わっていったのです。
ブログやSNSでの発信も、その一環でした。
自分の思考を整理し、軌跡を残し、誰かの参考にもなれば──そんな思いで記事を書き続ける中で、少しずつ自分の「軸」が明確になっていきました。
今思えば、これは「人生の主導権」を自分に取り戻すプロセスだったのだと思います。
仕事・資産・生き方──どれも「誰かに与えられたもの」ではなく、「自分で選び、自分で責任を持つ」ものへと変わっていきました。
完全に「惑わず」とまではいかないかもしれません。
でも確かに、迷ったときに、自分で決められるようになった。それが、39歳になった今の私の小さな誇りです。
第4章:孔子の時代と違う、現代の「惑わず」とは?
「四十にして惑わず」と聞くと、どこか“達観した人生”や“悟りの境地”のようなイメージを抱く方も多いかもしれません。
でも、現代社会に生きる私たちにとって、それは少し違うのではないかと思います。
孔子が生きた時代には、身分制度があり、職業も生まれによってある程度決まっていました。
30歳で自立し、40歳で人生の進むべき道を定め、50歳で天命を悟る──そんな年齢による“成長の区切り”が社会の中で共有されていたのです。
しかし、現代はあらゆるものが流動的です。
職業は何度でも変えられるし、会社の寿命も個人の寿命も伸びています。
かつての「40歳=ベテラン」「50歳=定年目前」という感覚は、今では大きく変化しています。
そして何より、情報が多すぎる現代では、“迷わない”こと自体が難しい。
インターネット、SNS、YouTube…どこを見ても「正解らしきもの」が大量に並び、それぞれが全く違うことを言っています。
そんな環境に生きる私たちにとって、「惑わず」とは、もはや“迷いがない状態”ではありません。
そうではなく、“迷いながらも、自分で選び取っていく覚悟”こそが、「現代の惑わず」なのだと感じています。
たとえば、FIREを目指すという選択。
投資をするか、不動産を買うか、副業を始めるか、家族にどう説明するか、会社を辞めるか──迷いの連続です。
でも、その都度「自分の人生にとって何が最適か?」を考え、自分で決断して行動していく。
それこそが、現代の“惑わない生き方”なのではないでしょうか。
迷っていい。悩んでいい。
ただ、それに流されるのではなく、自分の価値観を軸に選択できるかどうか。
その力こそが、40代以降の人生を左右するカギだと思うのです。
孔子の時代のように、40歳で「もう迷うことはない」という境地を目指す必要はありません。
その代わりに、“惑ってもなお、自分でハンドルを握る力”を手にすること。
それが、現代版の「四十にして惑わず」ではないでしょうか。
第5章:資産形成は「惑い」と向き合う手段でもある
資産形成というと、多くの人は「お金の増やし方」「投資テクニック」「利回り」など、数字やノウハウの話を想像するかもしれません。
もちろんそれも大切ですが、私にとっての資産形成は、もっと根本的な意味を持っていました。
それは──「迷いながらも、自分で選べる力を手に入れるための手段」です。
たとえば、働き方に悩んだとき。
貯金がなければ、選択肢は限られます。やりたくない仕事でも、辞めるという選択肢すら取れない。
でも、資産があれば「一時的に立ち止まる」「副業に軸を移す」「場所を変える」といった選択が可能になります。
また、不動産投資や法人運営に取り組むことで、税の仕組みやレバレッジ、リスク管理といった“本質的な金融リテラシー”が身についていきました。
こうした知識や経験は、何かに迷ったときの判断軸として機能してくれます。
迷っていい。惑っていい。
でも、「自分の軸」があれば、迷ってもちゃんと戻ってこられる。
そして資産形成は、その“軸”を作る土台になってくれるのです。
投資信託を積み立てることも、不動産を買うことも、法人を立ち上げることも、ブログで発信をすることも──
すべてが、私にとって「心の自由度を高める行動」でした。
FIREとは、単に早期退職のことではなく、迷いの多い人生の中で“自分でハンドルを握る”ための選択肢を増やすプロセスだと、今ははっきりと言えます。
もし、いまあなたが「何かモヤモヤするな」「これからどうしよう」と感じているのだとしたら、
資産形成を始めることで、その“霧の中”に一筋の光が見えるかもしれません。
お金のことを学び、増やし、守ることは、未来の自分への備えであると同時に、今この瞬間の“心の平穏”を得る手段でもあります。
第6章:惑う40代の仲間へ伝えたいこと
ここまで読んでくださった方の中には、私と同じように、
「将来に漠然とした不安がある」
「FIREに興味はあるけど、具体的にどうすればいいか分からない」
「会社・家庭・お金──いろんなことに迷っている」
そんな思いを抱えている方もいるかもしれません。
私もそうでした。むしろ、今でも完全に“惑い”が消えたわけではありません。
ただ一つだけはっきり言えるのは、「惑いながらでも、前に進めるようになった」ということです。
そして、それができるようになったのは、「自分のために学び、選び、動いたから」だと思っています。
資産を築くという行為は、単なるお金儲けではなく、
「選べる人生」に近づくためのツール。
そして「自分で選べる人生」こそ、最も心が自由になる状態です。
私は今、39歳。資産は約7,000万円。法人も設立し、不動産も所有し、FIREへの道を本気で歩んでいます。
でも、これらはすべて、「迷いから目を背けずに、行動してきた結果」です。
40歳を前に、心がざわつくのは当然です。
社会の中での役割が重くなり、過去の選択が積み重なり、未来の責任がのしかかる年代ですから。
でも、だからこそ私は言いたい。
「惑っていても大丈夫」だと。
大切なのは、迷っても歩みを止めないこと。
完璧な道を選ぶことではなく、「選んだ道を自分の正解にしていく覚悟」です。
FIREを目指す旅は、実は「自分と向き合う旅」でもあります。
もしあなたが、その一歩を踏み出そうとしているなら──私は心から応援しています。
まとめ|「四十にして惑わず」はFIREの入口かもしれない
「四十にして惑わず」──この言葉は、昔から“成熟した大人”の象徴のように語られてきました。
しかし、実際に40歳を目前にした今、私はこう思います。
惑いがなくなることを目指すのではなく、惑いながらも進める自分になること。
それこそが、現代の「惑わず」なのではないでしょうか。
FIRE(経済的自立・早期リタイア)を目指す過程は、決して一直線な成功の道ではありません。
投資にも不安はあるし、不動産にはリスクがある。
家族や職場との関係、健康、老後…考えるべきことは尽きません。
それでも、資産形成を通じて「選べる自由」を得ることができれば、
私たちは人生のハンドルを自分の手で握ることができるのです。
迷いがあるのは当然。むしろ、「ちゃんと向き合っている証拠」です。
だからこそ、私はこれからも“惑いながらも進む”という姿勢を貫いていきたい。
論語の言葉は、古くて新しい。
「四十にして惑わず」は、FIREを志す私たちの指針にもなり得るのです。
あなたが今、迷いの中にいるならば──それは新しいステージへの入口かもしれません。
一緒に、自分の人生を、自分の意思で、選んでいきましょう。